TOPページ > 更新履歴 > 瓜破遺跡発掘調査の現地説明会を開催
大阪市教育委員会と(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所は、
平成24年6月から実施してきました、
瓜破遺跡の発掘調査の成果を広く市民に公開するために、平成24年10月20日(土)13時30分より、発掘現場の現地説明会を開催します。
現地説明会では、見つかった弥生時代前期末頃の環濠の可能性のある大溝と建物跡の柱穴、炉跡などの遺構を公開するとともに、
出土した遺物や写真パネルを展示します。
【 記 】
日 付 : 平成24年10月20日(土) 終了いたしました。
時 間 : 13:30〜15:30 ※小雨決行
参加費 : 無料
会 場 :
大阪市平野区 瓜破西3丁目 地先
(地図情報サイト「マップナビおおさか」へ移動します)
・地下鉄谷町線 喜連瓜破駅から南へ約1.2q
・市営バス停 高野大橋から西へ約500m
調査の概要
瓜破遺跡は弥生時代の集落跡として戦前から有名な遺跡です。
江戸時代の宝永元年(1704)に大和川の付替えが行われた際、
瓜破遺跡を横断して開削されたことにより、古くから河川敷では土器が採集されていたとみられ、
昭和15・16年(1940・41)に初めて、大和川河床で採集された土器が学会に発表されました(図1の山本博氏採集地点)。
その後も、阪神高速瓜破大橋の西側の大和川北岸では、
今里幾次氏による調査で弥生時代前期の土器が出土し、
昭和27年(1952)には日本考古学協会によって発掘調査が行われ、
瓜破遺跡は大阪だけでなく全国にも名の知られた弥生時代の代表的な遺跡となりました。
特にこの調査では、弥生時代前期でも新しい段階の土器がまとまって出土し、
遺跡の名前をとって「瓜破式」と命名されました。
また、大和川南岸でも平成6年(1994)以後、数次の調査で弥生時代中期前半の集落跡が検出され、
その全体像はしだいに明らかになってきています。
今回の調査では、西側の調査区(図1のD区)において、
弥生時代前期〜後期の溝・柱穴・土壙(炉跡やゴミ穴など)が多数見つかりました。
その中でも、特筆されるものは、弥生時代前期末頃(約2300〜2400年前)を中心とした遺構です。
遺構は、集落を囲む環濠の可能性が高い、幅3.5m、深さ2.0mの大溝(図1のSD10)から東側を中心に分布していました。
大溝を埋める地層からは同時期の多量の土器が短期間に廃棄された状態で出土しました。
大溝から東側を中心に、同時期以降、何度も建て替えられた建物の柱穴や炉跡が数多く見つかりました。
図1 調査地位置図(下図)および弥生時代の遺構平面図(上図)
調査成果の意義
以上のとおり、今回の最も重要な点は、瓜破遺跡において 初めて弥生時代前期末頃の集落の一部が環濠の可能性のある大溝を伴う状況で明らかになったことです。 この調査結果によって、戦前・戦後に同遺跡において得られていた学史上の成果をより具体的な姿で示すことができたと言えます。 また 、これにより、集落の範囲や時期ごとの動きといった弥生時代の集落研究にとっても、重要な資料が得られました 。
写真1 大溝(SD10)(南西から)
写真2 大溝(SD10)の断面(東から)
写真3 かつて「瓜破式」と呼ばれた弥生時代前期末の土器
写真4 大溝(SD10)東側に分布する建物の柱穴などの検出状況(西から)
【 問合せ先 】
(公財)大阪市博物館協会大阪文化財研究所 東淀川調査事務所
担当:岡村(TEL:06-4862-5506)
【 主 催 】
大阪市教育委員会・大阪文化財研究所